さらば保証乳業


平成10年9月30日をもって、保証乳業千葉工場は興真乳業千葉工場として転換、

そして平成11年3月31日をもって「HOSHO」ブランドは消滅しました。

このページでは今は無き保証乳業の製品を振り返り、どのような経過があったかを明らかにします。

 

なおこれ以降、筆者の推測も多分に含まれておりますのでご了承下さい。

当工場に問い合わせもしたのですが、残念ながら完全な確認までには至らなかったことを申し上げます。

 

*北海道保証牛乳はこのページで取り上げております保証乳業とは一切関係ございません。

現在は森永乳業と提携し、瓶製品については、森永乳業札幌工場にて森永製品と一緒に製造されております。


かつて保証乳業は中堅の乳業として、関東地区から関西地区をカバーしていた乳業でした。

関東(千葉)・静岡(沼津)・大阪の3ヶ所に工場を持ち、牛乳生産を行っていたということです。

3社ともロゴマークは十字の「HOSHO」の字が入ったものを使用していました。

 

関東では、千葉県松戸市松飛台中原275にて、牛乳製造を行っていました。

当時は瓶製品としては、保証牛乳の他にP牛乳、F牛乳といった加工乳、コーヒーといった乳飲料を製造していました。

他には委託という形で、カワイ乳業でバーモント、フルーツといった乳酸菌飲料、トモヱ乳業でヨーグルトを生産していたようです。

保証牛乳

松戸市所在

保証フルーツ

カワイ乳業委託

しかし昭和63年3月、保証乳業は倒産します。原因は投資の過大ということです。

3つあった会社の内、大阪は大阪保証牛乳として元々あった子会社が経営を引き継ぐことになりました。

 

 

このうち沼津保証牛乳については、地域の子会社が母体となって存続はしますが、牛乳製造は止め清涼飲料専門の会社として再出発したものの

現在の消息は不明です。

 

保証3.7特濃牛乳(沼津保証牛乳)(写真提供kazagasiraさん)

  この他に、牛乳・コーヒーの3種別があった模様です。

 

 

 

 

関東ではアサヒビールの支援を受け、保証乳業株式会社として再出発することとなりました。しばらくしてロゴマークは、「HOSHO」のマーク内に十字が入るという、従来のものとは逆のデザインとなりました。新ロゴ後も松戸市中飛台にて無均質牛乳や、特濃4.5牛乳といった瓶製品を製造されていたようでしたが、平成4年10月をもって保証乳業は松戸市から移転します。移転先はアサヒビールのパックジュースなどを製造することもある、興真乳業の敷地内です。所在地は従来の興真乳業八千代工場が八千代市大和田新田135だったのに対し、新工場の所在地は八千代市大和田新田130となりました。新工場の名は「保証乳業千葉工場」とされましたが、製品によっては「興真乳業千葉工場」とされました。

 

なお転換直後は、保証の製品については「保証牛乳」「低温殺菌牛乳」「特濃牛乳」「特濃4.5牛乳」(大瓶・当初は自社製でした)の、晩年の4製品の他に「保証カルキープ牛乳」「保証コーヒー」そして「保証ヨーグルト」も製造されていた模様です。

 

低温殺菌牛乳のキャップ。転換直後からのものかどうかは不明ですが……。

 

 

しかし、既にこのときには保証乳業の運命は決まっていたのかも知れません。平成6年に発行された資料によると、移転後の保証乳業の社長は興真乳業と同じ方が、そして従業員数は0となっています。


ところで、千葉工場では新ロゴ後も保証のビン製品には最後まで旧ロゴのものが使われました。最初は牛乳、特濃牛乳、低温殺菌牛乳の3種類ごとに瓶があったようですが、低温殺菌牛乳には御覧のように保証の製品にもかかわらず、興真の瓶が使われました。どうやら、新しく瓶を作るよりも自分の所の瓶を使う方が得策とされたようです。

写真1・低温殺菌牛乳 本来は保証の製品にもかかわらず、興真の瓶(この瓶はコーシンコーヒーやカルキープ牛乳で使用されている)が出ています。

 

 

 

 


写真2・こちらが、最後まで旧ロゴ瓶で出ていた、保証牛乳(左2つ)と特濃牛乳(右2つ)です。ちなみに、右の2つについているフードには、「品質の保証です。」と共に、HOSHOの文字の入ったものがかけられていました。

 

 

 

 

 


なお、この他に大瓶として特濃4.5牛乳というものがありました。こちらは鴨川酪農農業協同組合で委託製造されていました。こちらの瓶は、下部に赤字で「保証乳業株式会社」と小さく書かれていました。右写真はその瓶に掛かっていたタグです。

写真3・こちらではなぜか、保証乳業の住所は「大和田新田131」となっています。

 

 

 


ところで保証製品のキャップを見ると、保証乳業千葉工場と書かれているにもかかわらず、住所の表記が興真乳業八千代工場のもの・つまり八千代市大和田新田135となっています。しかし保証乳業千葉工場の住所は八千代市大和田新田130です。参考までに、紙パックで出ている保証製品の住所は八千代市大和田新田130です。いったい瓶製品に限ってなぜこのようなずれが生じたのでしょうか。

推論としては、新工場には瓶ラインは置かれず、パックラインが置かれたのでしょう。瓶を製造するときは、隣の八千代工場で製造されたのだと思います。そこで、製造者は保証乳業千葉工場にも関わらず、住所は瓶を生産した八千代工場の住所、大和田新田135となったのです。

 


しかし、移転して6年後、不景気のあおりをうけてか合併が検討されます。理由としては、別ブランドの牛乳を分けて製造している事による煩雑化。保証牛乳はコーシン牛乳と、特濃牛乳はゴールデン牛乳と全く同じ成分です。しかし低温殺菌牛乳はコーシンにはなかったことから、そのままになっていました。保証の製品で一番出ていたのはこの低温殺菌牛乳で、東京の大手デパートでもよく見かけました。一方保証製品で使用される瓶やプラスチックケースが老朽化しており、買い換えとなると多額の費用がかかること。すでに瓶の転用は限界に来ており、前述の通り低温殺菌牛乳に至ってはコーシンの瓶をそのまま使用していました。そして平成10年に入って、合併が決まります。

写真4・保証牛乳販売店にあった瓶を入れるプラスチックケース。既に文字が消えています。うっすらと「 保 + 証 」と赤字で書かれています。

 


平成10年10月、興真乳業八千代工場の前に立つ看板に異変が起こりました。従来はコーシン牛乳と並んで保証牛乳と書かれた看板が2本並んで立っていたのが、保証牛乳の看板のみが裏返しとなってしまったのです。特段の理由がないのに、正門の会社名を隠すとはただごとではありません。

写真5・右の方に2つ並んでいる看板が見えます。従来は左側の看板に「保証牛乳と書かれていました(手前は国道296号・成田街道)。

 

 

 


 

早速調べたところ、瓶製品パック製品とも、従来の「保証乳業千葉工場」の記載はなくなりました。かわりに紙パック製品は「興真乳業千葉工場」、瓶製品は本来の表記というべきか、「興真乳業八千代工場」となったのです。

 

保証乳業は、まずは興真乳業を受け皿として、10月1日から本来の「興真乳業八千代工場」表記でキャップが出回りました。

 

そして平成11年4月をもって、保証乳業は基盤強化のため興真乳業と合併し、保証乳業は関東地方から姿を消しました。

 

現在は、旧保証製品は次のような形で生き残っています。なお低温殺菌牛乳は晴れて新瓶となりましたが、旧ロゴは外されています。

ただし以前はコーシン牛乳販売店では低温殺菌牛乳は購入できませんでしたが、現在は購入できるようになっています。

保証牛乳       → 廃止

(こちらは当然でしょう。敢えていうならコーシン牛乳になったというところか)

低温殺菌牛乳     → 低温殺菌牛乳

             (上述の通り、新デザインとなりました)

特濃牛乳       → コーシンゴールデン牛乳

             (もともと同じ製品だった)

特濃4.5牛乳    → コーシン特濃4.5牛乳

             (現在も安房酪農業協同組合での委託生産です)

 

 


 写真6・写真4の販売店にある看板。

 現在はコーシン牛乳販売店となっています。ちなみに看板は平成12年5月現在そのままでした。

 


追加・この保証乳業についてですが、さらなるつながりがあったことが判明いたしました。詳細につきましては、こちらをご覧下さい。

更に追加・前述通り、当ページで問題にしております保証乳業としては、「保証乳業(関東地区)、沼津保証牛乳、大阪保証牛乳」の3社が母体です。北海道保証牛乳については、一切関係はございません。以上については改めて訂正の上、お詫びいたします。


 

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